GREENING co.,ltd.

真逆と思えることが、実はつながっている。

僕たちはもともと、建築や不動産を生業にしてきました。
ただ、その視点からだと、
見えないことがあることに気づいたのです。

たとえば人口が少ない、
不動産としての価値はない立地であっても、
そこには必ず1杯のおいしいコーヒーを求めている人がいて、
しかるべきかたちで届けることができたなら、
人はおのずと集まってくると。

競争の高い都心で、ハコだけをつくるビジネスよりも、
気持ちいい時間、中身を考えて場をつくるほうが、
ビジネスとしても価値があるんじゃないかと。

僕たちが大切にしているのは、
両方の、真逆の視点を必ず持つこと。
1杯のコーヒーと都市計画、都心とローカル、
日常と非日常、センスとビジネス。
一見、両極端のことのように見えて、
実はつながっているということ。

この感覚を、いろんな人たちと分かちあうことができたなら。
そんな夢想をしています。

都心だから、ローカルだから、ではなくて。

いわゆる、一般的なリアルビジネスの考えは
「マーケットイン」と呼ばれ、
人がいるところ、集まる街に向けて、
サービスや商品を提供します。
対して、僕たちの考えは「プロダクトアウト」。
その街や地域にマーケットがある、ないにかかわらず、
「ここで何ができるだろう。
ここでしかできないこと ってなんだろう」と、とらえます。
その土地の持つ「価値」を考え、共感者を募り、
一緒につくり上げていくやり方を好みます。

およそ時間のかかることかもしれません。
ただ過去の成功事例にとらわれて、
すでにあるものをなぞらえるより、
それはきっと、オリジナリティのある価値が
生まれる可能性を秘めている。

都心に住んでいるから、ローカルの良さが
分かることもある。その逆もしかり。
会社として、また人としても。
偏った観点でものごとを捉えないのは、
おそらく大事なこと。

食を大事にする人こそ「センスがいい」理由。

ファッションや音楽、映画など。
「センスがいい」対象は世にあまたありますが、
中でも食はただ唯一、身体の中に取り込まれて、
その場でしか得ることができないもの。
つまり、そこにヴァーチャルはなく、
確かなリアリティがあります。

人のカッコよさや美しさの本質が、
精神と身体で構成されているとするならば、
センスを磨くため、食に意識を向けること、楽しむことは
非常に大切な要素であると、私たちは考えています。

都市生活者が、センスよく上質な生活を求めるべく、
より食への関心を強くする中、
レベルと感度の高い
「食と、そのまわりにあるもの」を提供することは、
街の形成、カルチャーの創造とも、
深い関係をもたらすと、私たちは思っています。

なぜ食の事業に力を入れているのか、
これが答えのひとつと言えるでしょう。

ビジネスと環境を、いかにバランスさせるか。

僕たちの社名「GREENING」の意味は「緑化」です。
また「再生」など、さまざまな意味を内包しています。

その新たなスタートに込めた決意のひとつが、
環境対応の強化でした。
GREENINGは、一企業として
適正収益を上げることを前提としつつ、
これまで以上に当たり前のこととして、
この問題に取り組んでいきます。

もちろん街づくりは、
それ自体がすでに環境に負荷をかける行為です。
きれいごとばかりではうまくいかないことも、
ままあるでしょう。

ただその矛盾と向き合いながら、いかに諦めずにいられるか。
ビジネスと環境への配慮を、いかにバランスさせるか。

僕たちはそこをモチベーションにしながら、
創意工夫していこうと思っています。

自分の芝生も青いかもしれない。

日本人は、海外発のものを
とかくありがたがる傾向にありますが、
海外の人たちと話をしていると
「日本こそクール!」と、たびたび言われます。

理由は、自然に根ざし、
積み重ねられてきた日本のカルチャー。
その醸成の仕方が、全世界的にも特化しているというのです。

こと食に関しては、地域ごと、
季節ごとに採れる産物があり、
作られる料理があり、それらを食べる理由がある。

菜食比率が高く、
油をあまり使わないところがヘルシーだったり、
食材をあますところなく使い切るのが
サスティナブルだったりと、
彼らにとっては、逆に今の時代に
フィットしていると感じるようです。

つまりは日本の文化や歴史が、
経済的価値を生むポテンシャルを秘めている。

だからこそ、
改めて僕たちが大切にしたい価値観が
隣の芝生ばかりでなく
「自分の芝生も青いかもしれない」という視点を持つこと。

それは「海外と日本」のみならず
「都会とローカル」「他者と自分」にも置き換えられます。
外からの視点で自分との違いを個性ととらえ、
どうおもろしく考えられるかが
新しい価値づくりにつながっていく、
そんな気がするのです。

つくれないからこそ価値がある。

不動産事業をする僕たちにとって
「価値」と言えば、経済的価値です。
新しく「ものをつくる」ことによる、
不動産のバリューアップが使命とも言えます。

ただ、これも矛盾するようですが、近頃はだんだんと
「つくれないもの」の価値に、こよなく美しさや、
愛おしさを感じるようになりました。

まずは、時間が経ったもののよさ。
いわゆる「経年劣化」ではなく「経年美化」の考えです。
時間が織りなされることよって生まれる味わい、
大切にしたいという愛着の気持ち。

さらに、限りあるもののよさ。
ずっとあることが前提ではなく、
いつかなくなってしまうからこそ愛おしい。

それは建物や、自然、生命だけでなく、
人間関係にも言えることかもしれません。

時間が経つほどに、育まれていくこと。
終わりがある、と思うからこそ向き合えること。

こんなことを意識しながら、
仕事にも向き合えたら、と感じています。